最近、僕の友人たちの間で「車好き選手権」みたいな空気が漂っておりましてね。 いや、別に誰が一番詳しいかを競っているワケではないんです。 ただ、ふとした会話の流れでそれが自然発生するんです。
僕も一応、車は好きな方です。 朝のエンジン音を聴くだけでテンション上がるし、 給油のたびに「これが俺の戦闘食だ」と意味不明なテンションになる。 まぁ一般的な車好きと言えるでしょう。
でもね。 世の中には、上には上がいるんですよ。 僕の友達のAくんなんて、車好き度がすでに“宗教”の域。 車のカタログはもちろん、 エンジン音を録音して「寝る前に聴く用」とか言い出した時は、 流石にそっと距離を置きました。
そしてそのAくんの友達のBくん、 コイツはもう別次元。 走る車を見るだけで「排気音だけで車種がわかる」とか言うんですよ。 最初は「またまた〜」なんて笑ってたんですが、 本当に当てるんです。 信号待ちで後ろから来たトラックの音を聴いて、 「いすゞだな」って呟いて、 実際に見たら“ISUZU”のロゴがバッチリ。 もうね、ドン引きですよ。
そんな彼らとドライブに行くと、 車談義が止まりません。 たとえば高速のサービスエリアに寄ると、 普通の人なら「トイレ行って、コーヒー買って一息」じゃないですか? でも彼らは違う。
駐車場でエンジンフードを開けて、 「やっぱここの空気の取り込みが甘い」とか言いながら、 真顔で空気を読んでるんですよ。 いや、空気“読む”な。吸え。
そしてしまいには、 通りすがりの車に向かって、 「この排気管の角度、センスあるねぇ〜」と頷いている。 僕がアイスコーヒーを飲むその隣で、 彼らはまるで美術館の作品を見るように車を眺めているのです。
ここまで来ると、車はもはや移動手段ではない。 “人生のパートナー”です。 いや、もう結婚してる。 車検じゃなくて結婚。
「車は乗るモノではなく、共に生きるモノ。」
Aくんが愛車を洗う時なんて、 まるでペットを撫でるみたいに優しい手つきなんです。 「この子、今日も頑張ってくれたからなぁ」って、 ボディを磨きながら独り言を呟いてる。 いや、エンジンに名前つけてんの聞いた時は震えましたよ。 しかも「ジョージ」って。 なんで外人?
僕なんかは、 雨が降ったら「今日は車汚れるから出たくないな〜」とか言って、 結局タクシー呼んじゃうレベル。 でもAくんは違う。 「雨の日こそタイヤのグリップを確かめる絶好のチャンス」って言い出す。 お前はテストドライバーか。
Bくんに至っては、 デートの行き先を決める時、 「その道の舗装状態どうなん?」から始まる。 彼女が「海見たい〜」と言っても、 「舗装荒れてるし、峠越えるのは危ない」って却下。 恋より車体のサスペンション優先。
でもね、 そんな彼らを見てると不思議と笑えてくるんですよ。 確かに行き過ぎてるけど、 “好き”っていう感情をここまで全力で貫けるのは、 正直うらやましいなって思うんです。
僕も、 彼らほどじゃないにせよ、 エンジン音を聴くたびにワクワクするし、 夜のドライブで流れる街のネオンを見ると、 「あぁ、生きてるなぁ」って感じる。
だから、 車好きって結局、 馬力とか排気量とかの話じゃないんですよね。 走る音に、 空気の匂いに、 ハンドル越しに伝わる鼓動に、 “ロマン”を感じる生き物なんだと思う。
で、僕の周りの車好きたちは、 そのロマンを人の3倍くらい感じてるだけ。 それを“変態”と呼ぶか、“職人”と呼ぶかは、あなた次第です。
先日もAくんが真顔で言いました。
「車は、ガソリンで走るロマンだ。」
いやもう名言すぎて、
一瞬ガソリンの香りが哲学の香りに変わりました。
僕も少しずつ、 彼らに感化されてるのかもしれません。 最近は洗車する時、 ついボディに向かって「今日もありがとう」って言っちゃうんです。 完全にAくん化してますね。
ただ、僕はまだ冷静さを保ってます。 ジョージなんて名前は付けません。
でも、 愛車のドアを閉めた瞬間に、 エンジンの低い唸りを聞くと、 やっぱりこう思うんです。
「車って、男のロマンそのものだな。」
……とまぁ、そんな話をAくんにしたら、 彼、真顔で言いました。
「ロマンじゃない。人生だ。」
はい、完敗です。

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