カセットテープが主役だった、あの頃の僕ら。

僕が初めて「恋」をしたのは、 隣のクラスのショートカットの子でも、放課後の駄菓子屋の姉ちゃんでもない。 ラジカセの中で回る、 キュルキュル音を立てた“あのカセットテープ”だった。

当時の僕にとって、 ウォークマンを首からぶら下げて歩く人は神様だったし、 MDなんて存在はまだこの世に生まれてすらいなかった。

家にある唯一のステレオが、 親父の持っていたコンポでしてね。 「触るな」と言われていたけど、夜中にこっそりスイッチを入れて 小さな音で流すTOTOの《Africa》。 あのシンセの音を聴くたびに、 なんだか“世界”って広いんだなぁと思ったんですよ。

…そんな僕が大人になった今、 SpotifyやApple Musicで無限に音楽を聴ける時代になりました。 でもね、 便利さの裏にある“ぬくもりの消失”には気づいてしまったんですよ。

 

■ 80年代サウンドの魔法。

80年代の音って、 どれも「わざとらしいくらいドラマチック」なんですよ。 ドラムにはゲートリバーブ、 ギターにはコーラス、 ボーカルはどこか哀愁を漂わせて、 映像で言えば全編が夕暮れ時。

それが良かった。 現代の無機質なビートじゃ感じられない、 “熱量”があったんです。

たとえばa-haの《Take On Me》を聴いた時の、 あの胸がギュッとなる感じ。

マイケル・ジャクソンの《Thriller》を初めて見た時の、 「え、これ映画やん!?」って衝撃。

**「80年代は音が生きてた時代」**

そう断言しても、誰も文句は言えないでしょう。

 

■ テープに吹き込む“気持ち”という文化。

今でこそLINEで「好き」って送れるけど、 当時は“音”で伝えるしかなかった。

好きな人に貸すために、 徹夜して作った「マイベスト・カセット」。

A面に安全地帯、B面にプリプリ。 手書きのインデックスカードには、 自分の字で書いた“曲順”とちょっとしたメッセージ。

渡した翌日、 「昨日聴いたよ」 って言われただけで心臓がバクバクしてたあの頃。 今思えばあの時間こそ、 **人生で一番ロマンチックな通信手段** だったのかもしれません。

 

■ あの時代が教えてくれた“手間の価値”。

80年代の音楽って、 とにかく「手間」がかかる。 針を落とす角度で音が変わるし、 テープは伸びるし、 ダビングを重ねすぎたら音がモワモワ。

でもね、 その不完全さが“愛”だったんですよ。

再生ボタンを押すたびに聞こえる「ガチャ」という音。 録音ボタンを押す瞬間のドキドキ感。 あの“音が始まるまでの間”が好きだった。

今の時代、ワンタップで何でも聴けるけど、 その“始まるまでの間”がなくなった。

それは便利の代償で失った“心の余白”なんじゃないかと思うのです。

 

■ そして今、またレコードが回り出す。

最近、若い子たちの間でも レコードやカセットが“おしゃれアイテム”として人気が出ています。

だけど僕は思うんです。 それは単なる懐古じゃなくて、 デジタル時代に疲れた人たちが求める“人間らしさ”の回帰なんだと。

針がレコードに触れた瞬間の「プチッ」という音。 それだけで、 なんだか“帰ってきた”気がするんですよね。

 

そして今夜も、 棚の奥から埃まみれのカセットを取り出して再生する僕。

流れてきたのは懐かしのTM NETWORK。 あのイントロが鳴った瞬間、 息子が言いました。

「パパ、これ昔のゲーム音楽?」

・・・違う。
これは、青春の音だ。

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